行政への提言-2                         病院のすみ分け

私の勤務する病院が所在する人口7万人の天理市の年間死亡者数は、500名です。そのうち100名が我々の病院で死亡しています。我々の病院は、高度専門病院であり奈良県の最終病院として機能しています。しかし、高齢で寝たきりの天理在住の患者で、特に我々の病院で長く外来通院していた人が、全身状態が悪化すれば当院に搬送されることが多くあります。これらの患者が死亡するときは、我々の病院で死亡するのが妥当でしょうか?

外来から緊急入院について病棟へ入院の部屋の有無と尋ねると、病棟が混んでいる時等では、婦長から「本院に通院している人ですか?」という質問がかえってきます。多くの職員がそのような認識を持っています。つまり、本院に通院している患者は、どうしても入院させなければいけないが、初診の人であれば無理してまで本院へ入院させなくてもよいという発想です。

患者さん自身も、そのような情報を知っており、万が一に状態が悪くなったときに我々の病院で入院させてほしいために、軽症の高血圧患者や高脂血症の患者が外来を定期受診します。その結果、ある医師の外来予約は1時間に20人となり、診療ではなく挨拶しかできなくなることがしばしばです。国民の多くが、高度専門病院しか信頼していないということも我々の病院に殺到する理由の一つです。

日本の多くの病院がそうであるように、我々の病院でもどのような患者を治療の対象とするかという確固たる方針がないため、症状の程度が同じ患者でも、ある医師は本院には入院の適応はないとして近医に紹介し、ある医師は当方で経過観察し最後を看取る等、主治医の方針により大きく変わります。高度機能病院において、患者を入院させるかどうかは疾患の程度で判定すべきであり、外来通院患者であるから、その終末医療も責任があるという考えは問題であると思います。残りの400名が本院で最後を迎えるとしたら、高度専門病院としての機能は全く消失してしまいます。

厚生省のいう、ある地域において、高度の専門治療が必要ならここ、最後を迎えるならここ、簡単な疾患ならここというように政策としてのすみ分けが必要です。しかし、現実にはこのようなすみ分けは行われていません。それを実行するための阻害因子を考えたいと思います。

一般的に、国民は、開業医に専門医の知識の求め、専門医には家庭医の役割も求め、病院を高齢者のサロン化する等、医療に対する国民の意識を変える必要があります。しかし、国民の期待に足る知識・技術・判断力を持たない医師も現実には少なからず存在します。開業医や勤務医にしても、専門外の最低限の知識を生涯教育を通して習得しようとすることが必要です。また、自分の専門以外のことで間違えても恥とは思わない、患者の訴えに対して必死で考えるという倫理的な考え方がない勤務医も多くいます。よい臨床医をつくることなしに、すみ分けを国民に誘導してもあまりいい結果にはならないように思います。

卒前後および生涯におよぶ医学教育の問題を国がきちんと管理して、研究者ではなくよい臨床医を育てることを多くの大学の第一義とする政策を全面に押し出し、その政策の元で10年先に初めてこのようなすみ分けができるように思います。